佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です! PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。
えびす様は縁起物として有名な「七福神」の一員で、7人のなかで唯一、日本古来の福の神(ほかは中国やインドの神)と言われている。釣り竿を持ち鯛を抱えて、ふくよかな笑みを浮かべている姿は、商売繁盛の神様として日本全国で親しまれている。恵比寿、恵比須、恵美須、夷、戎など漢字表記は地域によって違うが、佐賀のえびす様は「恵比須」と書く。そもそも、なぜ恵比須像が佐賀市内には多いのか。いくつか理由がある。
①佐賀のお殿様が、えびす神の総本社である兵庫県西宮神社から石像を譲り受け、北川副の神社に祀ったことを機に、住民に広まっていった。
②長崎街道沿いを中心に恵比須さんが多数残っていることから、旅の安全祈願のために建てられた。
③佐賀市南部にも多数の恵比須さんが鎮座。「海の神」とも言われ、有明海の豊漁祈願と水難事故防止のために建てられた。
… 恵比須さんが増えていったのも納得だ。
佐賀の街角に恵比須像が多いことに気づき、佐賀を盛り上げるために活用できないかと、動き始めたのが、村井禮仁さんとその仲間たち。平成13年「佐賀よかとこ会」を結成し、メンバーで手分けして佐賀市内にある恵比須さんを探し回ったという。恵比須さんを探し回っている時はみんな手弁当。長崎街道の高橋から構口までを隈なく探したら、なんと、471体もの恵比須さんがあったそうだ。
恵比須さんの中には、「文字」だけが彫られた「文字恵比須塔」も存在した。最初はそういうことも含めて恵比須について勉強しながら数を増やしていった。そして、集大成となる恵比須のMAPを作成し、恵比須の街・佐賀の基盤をつくっていった。
ブレイクのきっかけとなったのが「恵比須八十八ヶ所めぐり」。88体の恵比須さんエピソードを綴った連載も新聞に掲載され、およそ2年間連載していくうちに、次第に「佐賀には恵比須さんがたくさんいるらしい」と街の人々も認識しはじめ、メディアでも取り上げられるようになった。民間主動での活動の成果だ。損得を考えたわけではない。ただただ「街に賑わいを取り戻したい」という真っすぐな気持ちが周囲を動かしていったのだ。
平成15年、恵比須さんで街おこしをしていく「恵比須deまちづくりネットワーク」が誕生。メンバーだけでなく、旅行会社や佐賀の百貨店も参加し、公的な助成金も出るようになって活動の幅は広がっていった。
平成19年、佐賀市内の宝くじ売り場で、高額当選が出たことを契機に、恵比須さんでゲン担ぎをしようと、認知度がグンと上がっていった。平成21年には、恵比須の場所と写真を記録に残した「恵比須台帳」を作製した。この頃には、一般の旅行客や地元の人々から恵比須のガイドをしてほしいという依頼が入るようになった。
どんどん認知されていく佐賀の恵比須さん。ガイドの要望が増えて、人手が足りずに十分な対応ができないことが悩みに。その問題を解決する一助となったのが、A5判で出版されたガイドブック「恵比須八十八ヶ所めぐり」だった。「四国巡礼八十八ヶ所にちなんで、中心市街地や空港などから自分たちが88体を選びました。恵比須像のそばにいらっしゃる方に世話人をお願いして、恵比須さんを見守っていただくようにしていきました」と村井さん。
平成23年「日本一ネット」という団体に佐賀市の恵比須数日本一を申請したところ、認可された。記録は「佐賀市内に820体の恵比須像が鎮座していること」である。官庁が主体となるのではなく、そこに住む市民の想いを繋げて今の「恵比須さんがいるまちづくり」が成立したことは、一市民として誇りとしたい。
村井さんはじめネットワークの皆さんは、これで終わりとは思ってはいない。「恵比須さんだけじゃーね。恵比須さんを活用しながら、まちに来てもらう、見てもらう、買てもらう、食べてもらう魅力もつくっていかなければ」と、終わりなき課題と向き合っている。恵比須さんが見守る佐賀ん街は、村井さんたちのような「生き恵比須」の熱い想いで包まれている。
恵比須さまを拝む時には、恵比須様を見下ろすのではなく、下からのぞいて見てください。そうすると上から見るときよりも恵比須様の表情がより微笑んでいることがわかります。
恵比須像には、胸や烏帽子に、栗のような「宝珠」がついている恵比須さまがいます。「宝珠」にさわると幸せになると言われています。
2018
vol.12
美味しい海苔のみわけ方