佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

SAGA MAGA

メニュー

2017.01.31

はなわさん、結婚バナシ Part.1 結婚前は仕事ゼロ! どん底時代を嫁さんが支えてくれました。

 独身の男女を対象にした佐賀県主催のイベント「結婚っていいかも?」のトークショーに出演したはなわさん。トークショーでは、会場の熱気に応えるかのように、テレビなどではあまり話したことのない自身のエピソードを交えながら結婚の魅力を伝えていました。そこで今回は、はなわさんの「結婚話」についてコメントをいただきました。


二人の出会い
ひと目見てビビッ!! 中学時代の1つ上の先輩に一目ぼれ


 俺は、鍋島小、鍋島中、東高校に進んで、芸人になるために東京に出ました。嫁は佐賀県出身なんですが、初めての出会いは中学の時でした。俺の一つ先輩だったんです。学校で嫁さんを見た時に「がばい可愛かー」とビビッときました。いいなーと思っていましたが、その時代は、付き合ってはいないんですよ。憧れというか、ファンの心理でしょうか。


嫁さん、当時もててたんですよー(笑) 俺は、学校の先輩から嫁さんの写真を買って生徒手帳に挟んで、時々見ていました。嫁さんはバレーボール部だったので、自分の柔道の練習を抜け出して、バレーボール部の練習も時々見にいっていましたよ。中学時代の懐かしい思い出ですよ。


19歳の時に再会! 二度目のビビッ そして交際開始


 19歳の時に友人の結婚式に招待されて、出席した時、なんと、新婦の友人席に「中学時代の憧れの先輩」が座っていてドキッ。まさに第二のビビッでした(笑) 久々の再会にうれしくなって、「一緒に写真を撮ってください!」と言って、写真を送る口実に家の住所を聞きました。それから、ほどなくして付き合うようになりました。俺は東京、嫁さんは佐賀で遠距離恋愛だったので、当時は「文通」してましたよ。でも、やはり近くにいてほしいという思いが募り、東京においでよって言って呼びました。その頃は、駆け出しの芸人で全く仕事もなく、ただただ何とかして売れたいという一心でネタとかつくっていました。嫁さんが仕事に出て、家計を支えてくれていましたよ。頑張れ、頑張れって応援してくれましたねー。

16年前に結婚。絶対に幸せにする!と決意新たに

 東京に呼んだ時は、すぐに籍を入れずに同棲をしていたわけですが、ボロアパートに住んで、自分と生活を支えて、そばにいてくれるこの人を「絶対幸せにしたい、せんばいかん」と強く思っていました。だから、向こうが僕を嫌いにならない限り、自分が彼女を嫌いになるなんてことはあり得ないと思っていました。ある日、慣れない都会で一生懸命やってくれていた嫁さんが体調を崩してしまった時には、彼女に悪いことしたなーと落ち込みました。健康な体を取り戻すため、二人で一緒にがんばりました。その甲斐あって、嫁さんも元気になり、佐賀工業高校に通う長男を授かりました。


 俺は、23歳で結婚しました。「一生一緒に歩んでいくのはこの人だ!」と思っていたから、芸人の中では早い方かもしれませんが、この時、若くして結婚してよかったと思っています。駆け出しの頃からそばで支えてくれた嫁さんを大好きという気持ちと大事にしないといけないという気持ち、感謝の気持ち、そして恩返しをしないといけないという気持ち、いろんな気持ちがあるんです。



 はなわさんの結婚までのストーリー、いかがでしたか?
結婚してからのはなわさんの芸人としての活動、そしてはなわ家の話は、次号で語っていただきます。お楽しみに…




現在の鍋島中学校

<はなわさんブログ> 
 ・「母校、鍋島中学校。
 ・1月14日イベント「結婚っていいかも」

はなわ

Hanawa

優木まおみ

Yuki Maomi

吉武大地

YOSHITAKE DAICHI

中越典子     

Noriko Nakagoshi

はなわ

PROFILE

はなわ Hanawa

髪の一部を細長く立たせたヘアスタイルがトレードマーク。ベースギターを特技とするバラエティタレント。本名:塙 尚輝(はなわ なおき)、1976年生まれ。佐賀県立佐賀東高校卒業後、東京アナウンス学院お笑いタレント科に進学。在学中から芸能事務所に所属し、バラエティ番組に出演。NHKの『爆笑オンエアバトル』に第1回から出演し、全国にその名が知られるようになる。2001年、プロ野球選手・松井秀喜の物真似で人気急上昇。
2003年、シングル『佐賀県』でCDデビューすると、オリコン初登場9位、総売上枚数約25万枚の大ヒットになり、同年『第54回NHK紅白歌合戦』に出場。バラエティのみならず、ミュージシャンとして楽曲を提供、男装アイドルグループ『風男塾』のプロデュースにも携わるなど幅広い活躍を続ける。東京と妻子の住む佐賀市を行き来しながら、佐賀の地域活性化にも関心を寄せる。