佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です! PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。
vol.2
今号の研究テーマ
大隈重信を語る時、一番有名なのは「早稲田大学の創設者」、「内閣総理大臣」を歴任した日本の偉人ともいえる超大物。調べれば調べるほど面白い人物像が浮かび上がってくるのじゃよ。
この賢人を生んだご母堂の話をしよう。大隈重信の家には、二階に勉強部屋があり、部屋を明るくするために窓を大きくし、しかも、気が散らないよう、窓からは外が見えないような設計にしていたそうな。そいで、勉強机の前にわざと柱の出っ張りがくるように配置していたわけ。実は、コレ、勉強中に居眠りをするとその出っ張りにゴンッって頭をぶつけて目が覚めるという痛い仕掛けがあるわけ(笑) そんな環境下で勉学に励んだおかげで、7歳の時に佐賀藩の学校弘道館に入学して、優秀な成績を修めるんですねえ。
当時の佐賀藩は「葉隠」の教えに基づいた武士道中心の教育をしていたのじゃが、勉強ができすぎたのか、学生寮の中で「改革ばせんばいかん」と言いだして、意見の違う学生と言い合いになって大乱闘を引き起こし、その責任をとる形で18歳で退学になったのじゃ。その後、やはり才能を見込んだ学校が復学を認めるが、大隈は「いやだよ~!」って西洋学の勉強するようになるのじゃ。そして、反骨精神の強い大隈は30歳の時、時の将軍徳川慶喜に大政奉還を勧めるために脱藩を決意、京都に向かったんじゃ。自分の殿様を見限って我がよかごとするってことだから、これは当時にしては、大犯罪なわけなのじゃ。もし見つかったら切腹を申しけられても文句がいえないわけなんじゃ。しかし、熱い情熱たぎる大隈は、行動に出たわけじゃ。大隈の願いが叶い、無事に明治維新が実現し、脱藩の罪も結果的に許されたが、大隈の才能を日本中に知らしめる出来事が起こるのじゃ。
脱藩してからの大隈の歩みはまた次回のお楽しみとするかのう。
世界的政治家として、また早稲田大学の創設者として有名な大隈重信の生誕125年を記念し、昭和41年11月、大隈記念館が落成。設計は早稲田大学名誉教授・今井兼次博士の手によるもので、昭和42年10月、建設委員会から佐賀市に寄贈されました。館内では大隈重信に関する歴史資料を展示するほか、大隈の生涯を映像資料で紹介しています。
大隈重信は、天保9年(1838)佐賀のこの地(佐賀市水ヶ江2丁目)で生まれました。生家は天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、昭和40年に国の史跡に指定。 大隈が産声をあげて成長した八太郎時代の家庭と、その遺徳をしのぶことができる貴重な遺跡です。
ラボ主任研究員
谷口文章
BUNSYO TANIGUCHI
PROFILE
えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!
vol.1
佐賀の賢人さんvol.2
「改革ばせんばいかん」熱男・大隈重信vol.3
「まるぼうろ好きな愛されキャラ」大隈重信vol.5
文化や産業の振興にも貢献した鍋島直正vol.6
日本初の蒸気機関車をつくった男・佐野常民vol.8
新政府の方向性を形づくった男・副島種臣vol.9
頭脳明晰 聡明な反面、お茶目な面も見せた副島種臣vol.10
日本初の法務大臣「司法卿」となった江藤新平vol.11
「佐賀の乱」で若き命を落とした江藤新平vol.13
秋田県知事時代も熱く生きた島義勇vol.14
日本の初代文部科学大臣(文部卿)、大木喬任vol.15
義祭同盟の創始者であり、日本の未来を説いた枝吉神陽vol.16
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