佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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vol.4

今号の研究テーマ

「世が世なら、理想の上司ランキングトップは必至! 先見の明ある藩主」鍋島直正

佐賀の賢人ラボ、次なるお方を紹介しよう。
おっとその前に、幕末から明治を語る時に必ず出てくる「薩長土肥」という言葉は知っておるかな。薩長土肥とは江戸幕府時代の藩名で、幕末から明治維新にかけて大きな影響を与えた藩の頭文字である。

 薩は薩摩藩、長は長州藩、土は土佐、肥は肥前、つまり我が佐賀藩のことである。薩摩には西郷隆盛や大久保利通、長州には高杉晋作、桂小五郎、土佐には後藤象二郎、板垣退助、中岡慎太郎、坂本龍馬などの著名人がいる。では、肥前佐賀藩は? 大隈重信、江藤新平、大木喬任、島義勇など、佐賀の賢人として名高い面々の名前が次々に浮かぶのだが…。

 なんと、HP情報によれば、彼らが活躍するのはあくまでも明治維新以降なのである。つまりである、肥前佐賀藩は、個人プレーというよりは佐賀藩全体のチームプレーで発展していった色合いが濃いのじゃよ。そこで、今回の賢人の出番である。当時の佐賀藩のリーダー鍋島直正の的確な判断力が功を奏して、肥前佐賀の存在が日本全体へ大きく影響を与えることができたと言えるのじゃ。


佐賀市観光協会発行

佐賀市観光協会が発行している「佐賀の12賢人歴史散策おたのしみ帳」によると、鍋島直正は、17歳という若さで佐賀藩第10台の藩主となる。当時の佐賀藩はというと、長崎の港の警備費用や台風被害による町の復興など、藩の財政は破たん寸前!! 江戸の藩邸から国元へ向かう途中、江戸の商人たちから借金取り立てのために通せんぼをくらうくらいの貧窮ぶりだったという。


 しかし、そこは殿!! 質素倹約を徹底し、藩の役人の大幅なリストラなど、抜本的な改革を行い、借金の8割を放棄させ、残りの2割を50年ローンで返済する約束をさせたというのじゃ! そりゃけったいなー!と思われてもなりふり構わぬ采配でほとんど踏み倒しに近いといわれる力技で藩の財政を立て直したのじゃ。


「佐賀んもんの通った後はぺんぺん草も生えん!!」と、時には佐賀んもんを揶揄する言葉として耳にするんじゃが、これは借金に苦しむ時代に、藩主自ら草を食べてでも立て直そうとする気概にほかならない(諸説あるのじゃが)。この精神こそが肥前佐賀を支える質素倹約、勤勉さに繋がっているんじゃないのかね。

次回は、鍋島直正の素晴らしい藩政、人材育成について話していくとしよう。

ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!