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vol.9

今号の研究テーマ

頭脳明晰 聡明な反面、お茶目な面も見せた副島種臣

明治政府の要人としてあらゆる基盤を築き、日本の新時代の幕開けをリードしてきた副島種臣のもう一面の姿を覗いてみよう。意外にも奔放な面も持っていたみたいじゃよ…。

種臣のちょっとカワイイところ、発見!!

 種臣の本名は、副島次郎種臣という。その本名つながりのエピソードを紹介しょう。種臣は学生時代、自宅を離れて寄宿舎生活を送っており、寄宿生は、起床時に学校の裏にあった松原川で顔を洗うことになっておった。皆がブルブルッと夏も冬も変わらず両手の平で顔を洗うのをよそに、種臣は二本の指を濡らして、目の縁をこするだけで顔洗いをすませていた。その姿が影響したのか、種臣が育った界隈では、子どもがいい加減な風呂の入り方をしたら、「次郎さんの風呂入りばしてから!!」と怒られていたそうじゃ。そんな自由奔放な面もあった種臣は、書の世界にもその精神がフルに活かされ、素晴らしい書を多数残しておるのじゃ。表現の世界には、心を解き放つ自由な精神が必要ななのかもしれんなー。

「蒼海」の名で知られた種臣の書

 種臣は、書の世界では「蒼海」という雅号を持ち、作品を発表していた。自由で独創的な作風は、他の追随を許さず、某テレビ番組で作品の鑑定をされた時には、0が6つもついたほど、高く評価されている。佐賀の人にとって身近な種臣の書は、地元新聞のタイトル文字だろうか。

 話は変わるが、幕末明治、薩長土肥の薩摩の偉人西郷隆盛が、西南の役で自らの寿命を予感したのか、遺言状をしたためた際、宛名を副島種臣にして書いたというエピソードは知っておるかな。日本の輝かしい未来を託して書かれた遺言を種臣に宛てるということは、それだけ、高い信頼と学識、そして賄賂も懐に入れないような実直で素晴らしい人格を買われていたということじゃろう。
立派な賢人を多く輩出した佐賀人であることを改めて誇りに思う。



蒼海伯副島種臣誕生地(佐賀市鬼丸町)

種臣は次男、号、蒼海・一々学人。18歳の時、副島利忠の養子となり改姓。生家は現在取り払われ、その地には佐賀県福祉施設が建っている。敷地内に「蒼海伯副島種臣誕生地」と刻まれた巨碑が建てられている。<「さがの歴史・文化お宝帳」より引用>

ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!