佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です! PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。
vol.2
今号の研究テーマ
徐福は、約二千二百年前、秦の始皇帝の命を受けて「不老不死」の仙薬を求め「童男童女三千人と色んな分野の技術者、五穀の種子を積んで東渡した」と中国の歴史書「史記」に、また、史記には「徐福は平原光沢を得て、王として止まり来たらず」とも書かれている。
平原光沢はどこ? 上陸地はどこ? と探索してみると平原光沢の地は、有明海沿岸の平野で上陸地は佐賀市諸冨町搦(からみ)。有明海から迫ってくる凄い数の船団が姿を現す。住民は驚いたのに違いない。日本は、縄文時代なので無理もない。しかし、上陸した徐福一行をこの地のひとたちは歓迎した。そのおもてなしの心は、この地区に伝わる民話からも見える。
「ある日、徐福が有明海を散策していた時、アミ(小海老に似た甲殻類)が寄って来て、傾いた船を持ち上げ徐福を助けた」との言い伝えがある。以来、搦地区の人たちは「アミ」に感謝して、今だにアミ漁をしないし、食しないといわれている。一方で、筑後川の下流で隣り町の佐賀市川副町早津江地区では、アミ漁が盛んで佐賀の珍味としてアミ漬けがつくられている。
アミとは、有明海にそそぐ筑後川の河口付近でよく漁獲される秋の味覚のひとつ。新鮮なアミをよく水洗いし、軽く煎ってダイダイ酢で食べてもおいしい。自家製のキムチ漬けの調味料にも使われる。(有明海漁業協同組合HPより)
諸富町には「徐福が不漁続きで困っている住民のため、葦の葉を川に投げ入れたらエツになった」との言い伝えもある。エツ漁は、有明海に注ぐ九州一の大河・筑後川の初夏の風物詩で、屋形船に乗り込み、漁と料理を楽しむ殿様遊びのひとつ。エツ漁は、川の中ほどに網を張り、流れにまかせて漁をする流し網の一種で、とれたてのエツを船上で料理され振る舞われる。エツは、三十センチほどの平べったい魚で、小骨が多く叩きやから揚げが好まれる。諸富町搦の上陸地に立って、遠く古代に訪れた徐福の夢とロマンを感じながら佐賀の人情とおもてなしを味わってほしい。
ラボ主任研究員
有明海を撮るカメラマン
北村 和秀
KAZUHIDE KITAMURA
PROFILE
1950年7月16日、佐賀市川副町生まれ。高校卒業後、1969年2月、株式会社サガテレビに入社
最初の配属先は技術で開局の準備に携わった。その後、鳥栖支局・情報センター・福岡支社・報道制作と異動。2004年10月に番組制作会社のSTSプロジェクトへ出向、取締役、常務、2008年に社長を就任。2012年6月に退任。現在、佐賀市道祖元町で妻と二人暮らし。映像カメラマンを目指し、勅使河原和風会でお花を習い、フジテレビなどで照明を勉強、報道写真の狙い方などを教わって40数年。時々、これまでの写真を公開している。性格は、シャイで小粋ではにかみ屋。内気で内股で短足と、良いところなし。それでも頑張る年金生活者。別に職はなく、佐賀県障害者サポートセンターを応援する会会長、NPO法人MOTTINAIプロジェクト理事、(株)オフィスタカハシ取締役相談役など名誉職に就く。
vol.1
民話「ワラスボが鯛に恋をした」vol.2
徐福さんと筑後川のアミ漁・エツ漁vol.3
ハートの瞳のムツゴロウさんvol.4
有明海の潮干狩りで出会った”海蝸牛”vol.5
先人たちの ”まえうみ天気予報”vol.6
まえうみ(有明海)は「生命の海」vol.7
海苔人日記「2016夏のクラゲ漁」vol.8
宝の海の海苔人日記・10月vol.9
宝の海の海苔人日記・11月vol.10
宝の海の海苔人日記・番外篇 ”さが海苔最高‼️”vol.11
有明海沿岸ではアカクラゲを食べる?vol.12
ヒゼンクラゲ(シロクラゲ)とビゼンクラゲ(アカクラゲ)vol.13
有明海に不思議な櫓(タワー)発見?!vol.14
干潟のなかの牡蠣礁~有明海は元祖”牡蠣の産地”