佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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vol.6

今号の研究テーマ

まえうみ(有明海)は「生命の海」

有明海の不思議~どこからどこまでが有明海なのか?
干拓の歴史から、地域の歴史がみえる。
生命(いのち)のバトンを渡し続けなければならない。

どの範囲を有明海と云うか知っていますか?
 私たちは、島原半島の口之津から諫早湾を含む全体を有明海だと思っている。しかし、国土地理院の地図帳には、島原半島の多比良と熊本県の長洲を結んだ境界線から湾奥部を有明海として標記してある。また、海上保安庁の地図には、有明海は存在しない。島原湾とか海湾と書いてあるのだ。私が常時使っている昭文社の地図にも島原湾・諫早湾・有明海と三つに分けて書いてあり、私自身、大変混乱している。例えば、島原湾で獲れた魚は、有明海産ではないのか疑問に思う。全体を有明海と標記してほしいものである。



<有明海の範囲>
(「有明海および八代海等を再生するための特別処置に関する法律」より引用)「有明海」とは、次に掲げる直線及び陸岸によって囲まれた海面をいう。



一.長崎県瀬詰崎から熊本県天神山に至る直線
二.熊本県染岳から高松山三角点に至る直線
三.熊本県天草上島恵比須鼻から大矢野岳に至る直線
四.熊本県三角灯台から中神島を経て三角岳に至る直線


環境省「閉鎖性海域ネット」ホームページより




「有明海総合開発事業」という計画があったのをご存知だろうか。
結論から云うと有明海をなくす計画のこと。昭和28年の大水害で多くの犠牲者が出たのをきっかけに、島原半島と熊本県三角付近を結び堤防を作って有明海を湖水化する一方、干拓地として土地開発するというものだった。また、有明海の海底に眠っている石炭を採掘する炭鉱開発のコンビナート計画も含んでいた。実際、計画を実行しようとしたものの、各方面から論議が沸き、昭和44年に中止された。

●佐賀市「干拓の歴史を今に伝える」
https://www.city.saga.lg.jp/main/4835.html
●参考ホームページ:「水土の礎」/(一社)農業農村整備情報総合センター
http://suido-ishizue.jp/daichi/part2/03/07.html


野鳥のえさとり

 有明海は、佐賀県・長崎県・福岡県・熊本県の4県に囲まれ、大小百余りの河川が流入し、有明海の環境や水産業などに多大な影響を与えている。満潮と干潮の潮位の差(干満の差)が日本一の海で、干潮の時の泥干潟にはムツゴロウやワラスボなど日本では有明海だけに棲む珍しい魚をはじめ、サルボウ貝やシオマネキ・シロエビなど多くの生き物たちが生息している。この生き物たちを餌にするシギ・チドリ類やカモ類・ヘラサギなどの渡り鳥が飛来して来る。有明海は、生き物たちのパラダイスかも知れない。その光景は、佐賀市東与賀海岸で身近に見ることができ、国際的にも重要な湿地として「ラムサール条約」に登録された。


東与賀海岸

 有明海に夕陽が沈む、干潟を染めたオレンジの帯が少しずつ短くなっていく。一瞬暗くなったと思った瞬間、空一面が真っ赤に染まる雲も山も、そして干潟も。言葉に言い尽くせない程の美しい風景が堪能できる。我々にとってのまえうみ=有明海。「このような有明海を好きになって下さい。そして、有明海から愛されて下さい」と願ってやまない。思い続けることで色んな事が解決できる一歩になるのではないだろうか。


東よか干潟がラムサール条約湿地に登録されました。
ラムサール条約湿地『東よか干潟』の魅力を世界に


ラボ主任研究員

有明海を撮るカメラマン

北村 和秀

KAZUHIDE KITAMURA

PROFILE

1950年7月16日、佐賀市川副町生まれ。高校卒業後、1969年2月、株式会社サガテレビに入社
最初の配属先は技術で開局の準備に携わった。その後、鳥栖支局・情報センター・福岡支社・報道制作と異動。2004年10月に番組制作会社のSTSプロジェクトへ出向、取締役、常務、2008年に社長を就任。2012年6月に退任。現在、佐賀市道祖元町で妻と二人暮らし。映像カメラマンを目指し、勅使河原和風会でお花を習い、フジテレビなどで照明を勉強、報道写真の狙い方などを教わって40数年。時々、これまでの写真を公開している。性格は、シャイで小粋ではにかみ屋。内気で内股で短足と、良いところなし。それでも頑張る年金生活者。別に職はなく、佐賀県障害者サポートセンターを応援する会会長、NPO法人MOTTINAIプロジェクト理事、(株)オフィスタカハシ取締役相談役など名誉職に就く。