佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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vol.6

今号の研究テーマ

”八千代に幸多かれ” 佐賀の「千代結び」

 6月はジューンブライドにちなんでというわけでもないが、幸せを願う菓子を紹介しよう。千代に八千代に幸多かれと願って、長きにわたって結婚式の引き菓子として使われている「千代結び」。なんと縁起のいい名前だろう。砂糖を主原料にしたこの菓子は、シュガーロード佐賀を語るには切っても切れないものといえるだろう。


南蛮菓子の有平糖から派生した?!

 和名 有平糖(あるへいとう)は南蛮菓子の一種で、ポルトガル語で砂糖のお菓子を表すアルフェロアが語源とされている。砂糖と水あめを煮詰めて、柔らかいうちに細工を施し、成形したもので、甘い味だけでなく、その形状でも楽しめる菓子である。日本にはキリスト教の宣教師によって伝来したといわれている。結婚式の引き出物として使われてきた有平糖は、赤と白の慶事の色で結び「千代結び」として贈られるようになった。

千代結びは縁起の結び


祝い鯛

 千代結びは、結び目に終わりがない。いつまでも幸せが続くよう祈る思いがこの形に表れている。海を渡って伝わった砂糖菓子が、350年の時を超え、今もなお「縁起物」の菓子として佐賀で息づいている。現在も千代結びをつくっている諸富町のうさぎやは、創業45年を超える老舗の菓子店である。お母さんと共に作り続ける2代目の深町賢一郎さんに話を聞いた。
 「自分が店に入った20年前は、千代結びを中心に菓子づくりをしていましたよ。慶事には必ずと言っていいほど、千代結びが使われていましたね。時代の変化か… 現在は慶事で使われることはほとんどなくなりました」。それでも、伝統の縁起菓子はその存在を忘れ去られることはない。佐賀城下ひな祭りや、直売所、県外からの注文などで「千代結び」は名のごとく千代に届けという思いで作られている。

千代結び 繊細な技術を守るために

 佐賀市の菓子店で千代結びをつくっている店は、うさぎ屋を含めほんの数軒らしい。需要が減ったこと以外にも「製法の繊細さ」も作り手が減る要因にもなっている。「砂糖と水あめ、少しの水」というシンプルな原料を煮詰めて、成形してつくるんですが、火加減、煮詰め方、成形ととても手間とコツを要するんです。若手の職人さんに製法を守っていってほしいなーとは思っているんですが…」と、千代結びの未来を案ずる深町さん。付き合いのある菓子店の後継者に製法の指導もおこなっているという。歴史ある菓子がどうか消えませんように…。千代に八千代に シュガーロード佐賀の菓子として残していってほしい。


●佐賀市 シュガーロードサイト

シュガーロードとは?
 江戸時代、鎖国のもと海外との唯一の窓口であった出島。その出島に荷揚げされた砂糖は、長崎から、佐賀を通って小倉へと続く長崎街道を、京・大坂、江戸などへと運ばれて行きました。長崎街道は、九州各地の大名たちの長崎警備や参勤交代や、オランダ商館長の江戸参府、海外からの品々や技術、文化を京・大坂、江戸へと運ぶための街道として栄えてきました。街道沿道は砂糖のほか、菓子作りの技法なども入手しやすかったため、全国的にも有名な銘菓が生まれたのです。南蛮から伝わった菓子は、それまでの和菓子とは違い、砂糖をふんだんに使うもの。この伝来により、菓子の世界に革命が起こり、長崎街道を中心に、砂糖文化が各地の文化と風土を取り入れ、個性ある味へと花開きました。そのため長崎街道は砂糖の道「シュガーロード」とも呼ばれており、今なおその技術と味は受け継がれています。<「長崎街道シュガーロード」サイトより引用>


長崎街道「シュガーロード」の魅力を余すことなくお伝えするポータルサイト

長崎街道とは?
 長崎街道は、江戸時代に整備された脇街道のひとつで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る路線で当時九州随一の脇往還でした。57里(約228km)の道程で、途中に25の宿場が置かれました。幕府直轄地(天領)・長崎の他に、佐賀・大村・対馬・福岡・小倉と、5つの藩の領地を通るルートです。

うまかもんラボ研究員

SAGAMAGA編集長

庄島瑞恵

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