佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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2017.11.01

老舗百貨店ではなわさんミニライブが実現「感激して泣きそうになりました!」


 10月6日、佐賀市にある老舗(しにせ)百貨店「佐賀玉屋」で、はなわさんのミニライブが行われました。ことし5月にリリースされ、評判を呼んでいる新曲「お義父さん」を地元からも応援しようということで、佐賀玉屋が企画されたものです。
 地元佐賀のなじみのデパートで、はなわさんの歌を間近で聴けるということで、当日のライブ会場(6階催事場)は、用意されていた席は開始時刻前にすでに満席、立ち見客も出るほどでした。


佐賀玉屋本館の催事場は、熱気ムンムン。生のはなわさんを見ようと、定員を超える来場者で溢(あふ)れていました。


 老舗デパートの客層らしく、お客さんは拝見したところ、オトナな女性のみなさんが多い感じでしたが、ステージに登場したはなわさんは、「みなさん、ヤングの方ばかりですねー」と明るく声をかけ、客席からは拍手が沸き起こりました。続いて、はなわさんも、「上品ですねー、みなさん」とたたみかけ、会場からは笑い声、はやくも場が和みました。
 「ずっと、佐賀の老舗の玉屋さんでライブができたらいいなーと思っていましたが、実現できて感激しています!! 本当にうれしいです!」と、会場を見渡しながら感無量の様子のはなわさん。


 ライブ、スタート! 
 
 1曲目は佐賀を全国的に有名にしたあの「佐賀県」から。いまから14年前、2003年にリリースされた曲です。2曲目は、歌詞の中に「天山」や「カチガラス」、「有明の海」と佐賀にちなんだワードがちりばめられた「ふるさと」。この曲は、はなわさんが上京したばかりの頃、佐賀に住むお父さん、お母さんを想いながら書いた曲だそうです。3曲目は、まだ音源化されていないというとっておきの曲で、三男・昇利くんのために書いた「息子~昇利バージョン~」を披露(ひろう)。家族思いで知られるはなわさんですが、三人の男のお子さんのうち、ご長男と次男の方を歌った曲もそれぞれ作られています。三男・昇利くんのための曲も、やはり愛情がたっぷり詰まった歌詞で、微笑ましかったです。


 軽妙なトークを交えながら進められたミニライブのラストは、やっぱりこの曲「お義父さん」でした。会場は、「待ってました」とばかりにはなわさんに視線が集中し、シーンと静まりかえるなか、はなわさんの歌声が響き渡りました。その熱唱に、目頭を押さえながら聞いているお客さんもいらして、ふるさと開催らしいミニライブとなりました。

 ライブの後は、CDを購入したお客さんとのサイン会&記念撮影が行われました。今回、はさらにもう一つ、うれしい特典がついていました。それは、はなわさんのトレードマークのあのツノに触れられるという特典です! 
 「僕の角に触ると、ご利益があるみたいなんですよー。今日は触ってもらっていいですからねー」と頭を下げて角をお客さんのほうに向けるはなわさん。おそるおそる触るお客さんも、珍しい体験に、嬉しそうな表情をされていました。


「ツノ、触っていいですよ」とはなわさんに勧められて、そーっと触れてみるお客さん……。角に触ると、願い事が叶うそうなんですよ。

このライブを企画した佐賀玉屋のスタッフの方々と記念撮影。「はなわさん、がんばってねー」と声をかけられていました。


 ライブを終えたはなわさんにお話を伺いました。

――はなわさん、今日は、玉屋さんでのミニライブ、実現してよかったですね!

 はい! 玉屋さんというと、子どもの頃から歴史のある格式高いデパートという記憶があります。「そんな場所で僕のライブができるのかな」とちょっと思っていましたが、実現できて本当にうれしかったです、佐賀出身のタレントとしてはずっと夢でしたので、じつはライブ中、3回くらい思いがこみあげてきてウルッときました。

 家族でも玉屋に買い物に来ますよ。三男の昇利は、1階にあるパン屋さんのパンが大好きですし、地下の食料品売り場にも行きます。


 ――「お義父さん」ははなわさんにとって、運命を変える1曲だったのでは?

 そうですね。この曲をつくってから、色々な変化がありました。嫁の誕生日にこの曲をプレゼントしたことがきっかけで、小さい頃に生き別れになったお義父さんが重病で娘に会いたがっていると聞きました。
最初は会いに行かないつもりでいた彼女が、この曲が見えない力で背中を押して、「やっぱり会いに行こう」と決心をした。それで、家族みんなで去年、お義父さんに会うことができました。

 「お義父さん」をリリースして以降、全国で、色々キャンペーンもさせてもらっていますが、おかげさまで、お笑い芸人としてだけでなく、アーティストとしての活動も広がっていますね。自分の姿勢がとくに変わったつもりではないですけれど、「この与えられた機会に精一杯、応(こた)えていきたい」と、本当に感謝しています。


 ――はなわさんの子育てブログは、アクセス数のランキングもいつも上位です。

 はい、パパタレ(パパタレント)のようなお仕事や、子育て系の番組やイベントにも呼んでいただいています。今までとは違った分野のオファーも増えて、仕事の幅が広がっています。
 そう思うと、「お義父さん」は自分で作った曲ながら、「作らされた曲なんじゃないか」と思います。1年半前に曲をつくっていなかったら、お義父さんとも会えなかったかもしれない。いろんな偶然が重なって、不思議な感覚です。仕事はもちろん、この曲で家族の絆(きずな)もより強くなったような気がします。


「お義父さん」の大ヒットはじめ、ことしは超多忙のはなわさん(佐賀玉屋の応接室にて)


 ――息子さんたちは3人とも、柔道に打ち込んでおられますが、一つのことに一生懸命がんばるよう、小さい頃から心がけて育てられたのですか?

 うーん、僕はこういう仕事ですから、一生懸命がんばらないと生活できないですよね。息子たちはものすごく食べます。毎日、一升の米を炊いていますからねえ(笑) 子育ての面では、嫁さんのほうのお義母さん、お義姉さんにお世話になっています。僕は、家族の生活のリズムをこわさないように、仕事をがんばっているだけで、細かいことなんかは、子どもたちには言いません。

 柔道についても「やれ!」と言ったことは一度もありません。自分でやりたいと言ったからやらせているんですけど、「やりたいと言った以上は、応援するから、辞めたらだめだよ」とだけは言い渡して。「万一、辞める時には、じっくりと考えないとダメだよ」とか……その程度で、基本的には父親としては放任です。

 でも、放任は放任なりに、柔道の試合の応援には仕事の都合がつく限り、行くようにしますし、行ったからには、死ぬほど応援しています(笑)。


 ――息子さんたちには、はなわさんの愛情が十分、届いていると思います。

 そう願います。僕はとにかく、仕事を一生懸命やって、おやじの背中を見せていくしかない。家にいるときいは、つねに温和でいようと心がけています。いつか彼らが親になったときに、そういうおやじの態度もきっとまねすると思いますから。

 めちゃくちゃ怖いおやじさんがいる家庭は、そういうおやじに。うちのおやじは家では温和な人で、子どもの頃、何かうるさく言われた覚えがありません。だから、自然と同じような家庭にしたいと思ったんだろうと。
 あんまり、意識はしてないですけどね。意識していないところだからこそ、大事なことかもしれませんね(笑)


 ――これまで、佐賀を全国区にするのにこれ以上ないほどの働きをしてきてくださったはなわさんですが、いいニュースがあるんですよ。この7月に、佐賀市が「都市の暮らしやすさ」ランキング(野村総研調べ)で、全国1位になったんです。

 いいじゃないですか! 佐賀と東京を行き来する者として、納得の1位ですね。空港と町も近いし、僕も家族も不足なく暮らしています。そうですか、僕も気を引き締めて、もっと佐賀のためにしっかりと頑張らないといけないなと思います。

※ミニライブが行われた翌々日の10月8日、「お義父さん」のモデルになったはなわさんの奥様のお父様が逝去されました。謹んで、ご冥福をお祈りいたします

はなわ

Hanawa

優木まおみ

Yuki Maomi

吉武大地

YOSHITAKE DAICHI

中越典子

Noriko Nakagoshi

宇都宮直高

Utsunomiya Naotaka

はなわ

PROFILE

はなわ Hanawa

髪の一部を細長く立たせたヘアスタイルがトレードマーク。ベースギターを特技とするバラエティタレント。本名:塙 尚輝(はなわ なおき)、1976年生まれ。佐賀県立佐賀東高校卒業後、東京アナウンス学院お笑いタレント科に進学。在学中から芸能事務所に所属し、バラエティ番組に出演。NHKの『爆笑オンエアバトル』に第1回から出演し、全国にその名が知られるようになる。2001年、プロ野球選手・松井秀喜の物真似で人気急上昇。
2003年、シングル『佐賀県』でCDデビューすると、オリコン初登場9位、総売上枚数約25万枚の大ヒットになり、同年『第54回NHK紅白歌合戦』に出場。バラエティのみならず、ミュージシャンとして楽曲を提供、男装アイドルグループ『風男塾』のプロデュースにも携わるなど幅広い活躍を続ける。東京と妻子の住む佐賀市を行き来しながら、佐賀の地域活性化にも関心を寄せる。