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2017.10.18

僕が音楽に生きようと決めた瞬間 ~宇都宮直高 僕が歩んだ歌の道 高校時代篇~

佐賀城公園を気持ちよさそうに歩く宇都宮さん。
(撮影:水田秀樹)


 「歌が歌いたい」という一念から、中学時代は、女声合唱部を混声合唱部にしてまで、全国大会への切符を手にした宇都宮直高さん。高校に入ってからも、歌の道へまっしぐらかと思いきや、藝大進学を決められたのは遅かったのだそうです。


――宇都宮さんは、鍋島中学校を卒業して、佐賀市の致遠館(ちえんかん)高校へ進学されましたが、こちらも合唱部が有名だったんでしょうか?

 いえ、中学時代はあんなに夢中になった合唱でしたが、高校については、大学進学に向けて普通高校に入ったという意識でした。入学当初は、「テニス部にでも入ろうかなぁー」なんて考えてました。

――歌への熱意は一体どこに行ったんでしょう? 

 致遠館高校にも音楽部はありました。しかし、「受験勉強に差しさわりがでるから」ということで、吹奏楽部もなかった。それで〝テニス部〟という選択肢も頭をよぎったものの、最終的にはやはり音楽部に入部しました。

 入ってみると、またもや男子は一人もいなくて、ここも女声合唱なんです(笑)。「よし、また、混声合唱を立ち上げるか…」という気になり、中学時代に一緒だった男子に声をかけて、「音楽部で合唱しようよ」と誘いましたが、断られ……結局、高校の3年間はテノールパートは僕一人でした。


――合唱での実績は?

 NHKの合唱コンクールに出場はできたのですが、批評の時に、「コンクールの規定により、テノールが一人で合唱になっていないので審査できません」と言われたのは、つらかったです。全日本学生音楽コンクール(毎日新聞社主催)では、九州大会で金賞を受賞できました。 

――練習は厳しかったですか?

 いいえ。厳しいというより、中学のときとはまた違った指導でした。入部時は末永先生という方が顧問でしたが、その後、産休に入られ、つぎに迎先生と出会いました。

 迎先生は、中学時代に合唱部で熱血指導を受けた樋口先生に勝るとも劣らず、多大なる影響を受けました。迎先生はよく「自由に歌いなさい、好きに歌いなさい」とおっしゃいました。性善説というか、根本的に「自分の持っているものを出せば、良い表現ができる」というお考えで、音のずれやテノールの音が利いてないとか、指摘されるのではなく、「いっちょん面白うなか(ちっとも面白くない)」と言われるんです(笑)。僕たちは、では、面白くするためにはどうしたらいいか、そこでディスカッションして、再度表現してみると、「これは県大会を抜ける!」と言ってくださったり…。

――生徒の自主性を重んじられる先生だったのですね。

 そうですね。迎先生のご指導により、音楽の自由性を知りました。でも、自由って不自由でもあるんですよ。自由さを形にするには、自分が努力するしかないわけですので。それにはまず、「基礎が大事」ということ。それと、迎先生はいつも観客の目で見て、聴いてくださいましたので、後年、舞台に立つことになった僕にとって、先生の指導はすごく役に立っています。

――具体的にいうとどんな点でしょう?

 エンターテインメイトの観点から表現を考えるということですね。合唱は基本、研(と)ぎ澄まされた崇高な芸術を聴いてもらうことですが、それとは別の表現方法を教えていただきました。


2017年7月、佐賀市柳町の浪漫座で開催されたコンサートで。さすが佐賀市プロモーション大使、最高のパフォーマンスのみならず、佐賀の話題で会場をほのぼのとした雰囲気に包んでくれました。


――東京藝大を受験しようと思われたのはいつですか?
 
 高校1、2年の頃はじつは、音楽の道に進もうとは思ってはいなくて、筑波大学や慶応大学を目指していました。3年生になって、周囲の友人たちが志望校を決めていくのを見て、「僕はこのまま、どこかに決めてしまっていいんだろうか?」とすっきりしなくて。

 そのもやもやを分析すると、中学時代、浜松市のアクトシティホールで行われたあの合唱の全国大会で浴びた拍手喝采にたどり着いたんです。あの時の熱い思いがふつふつとよみがえってきて、「ああ、これは歌をやらなければ一生、後悔する!」と、歌の道へ進みたいというビジョンがはっきり見えてきました。


――しかし、高校3年生から芸術系の大学に進むのは、簡単ではなかったでしょう?

 はい、それはもう(笑)。親からは「浪人ダメ」「私立ダメ」と宣言されていたので、国立の音楽大学はないかと調べたら、あったんですねえ……「東京藝術大学」が国立だとわかりまして……。

――誰が聞いても、一番むずかしい大学の一つですね。

 そんなことすら知らない高校生だったんです! 担任の先生にこの大学に進学したいと伝えると、「致遠館高校から芸術系の大学に進学した例はないから、自分でがんばって」と言われて、音楽の先生に相談しました。

 「藝大ってどんなところか知っとる……?」
 「難しいんですか?」
 「宇都宮君、ピアノは弾ける?」
 「弾けないし、習ったこともありません」
 「ああ、もう無理、ムリムリムリムリ……! どうしても行きたいなら、とりあえず、東京藝大は諦めて、私立の音大にしたらいいんじゃ ない?」
 って(笑)。

 いまから考えると、あの頃は若さのパワーがあったんですねえ(笑)。そこまで否定されると、逆に、行きたい気持ちが強くなり、そこから〝人生をかけた勝負〟が始まりました。夏休みに入る前あたりからピアノを習い始めて、芸大が指定していた課題曲を集中的にマスターしました。専門的な話になりますが、cモール、aモール、並行調、音階を下から上まで弾いてカデンツで終わるなんていう、試験対策もしました。
 小さい時から音楽をやっている人には当たり前の何でもないことでも、僕にとっては生まれて初めてのこと。実際の試験の時は震えながらやりましたよ。

 そんな僕でも、得意なものが一つありました。
 聴音(ちょうおん)といって、音を聞いて譜面に起こしていく試験です。単旋律、二声、四声……中学生の頃からやってきた合唱の経験が役に立ち、非常に聞き取りが困難だとあれる四声も、ソプラノ、アルト、テノール、バスの四つの声のハーモニーが、自然と耳に入ってきました。


2017年春の「佐賀城下ひなまつり」会場の佐賀市柳町にある「よそおい処二葉」で和装に着替えて家族で散策(左は奥様の日佳瑠さん、娘の佳稟ちゃん)


「娘に素晴らしい雛飾りを見せてあげることができました」と宇都宮さん。


――東京藝大にみごと現役合格! よかったですね!

 現役で受からなければ、別の道に進もうと考えてもいたので、合格して本当によかったです。もちろん、入ってからがまた大変で……ほかの学生たちのように、音楽の専門的なことを何も勉強してきていなかったので、講義で話されていることが全然理解できなくて、最初はいろいろ苦労しました。

――学生時代に日本一有名なミュージカルの劇団「劇団四季」の劇団員になられるなど、はたから見れば、宇都宮さんの音楽人生はすごく順調に見えますが。
 
 たしかに、普通の大学生が就職先を決める頃、藝大の子たちは海外に音楽留学したり、大学院に進んだりと、音楽の専門分野で修業を重ねるケースがほとんどですね。そうやって勉強を続けて、音楽家として花ひらくのが四十歳ぐらいというのは、まだいいほうで……音楽だけでは食べていけないケースも多いです。

 僕は、二十歳(はたち)のとき、東京藝大の学生時代に、劇団四季の劇団員の試験を受けました。現役の大学生を劇団員にした前例はなかったので、「まだ、学生だからねえ」といわれましたが、審査のときに、劇団員のみなさんの前で歌を歌ったら、主宰の浅利慶太先生が、即座に「君と仕事がしたい」と言ってくださったんです。

 そこで拾っていただいてから、いまがあるわけですが、藝大と劇団四季の両立はこれまた大変でした(笑)。若かったから、できたのでしょうねえ。いま思えば、ひとこと、無謀(むぼう)。でも、何より歌が好きでした。舞台に立ちたいという思い一つで、困難を乗り越えられたように、あの頃から二十年近く経って思います。


――佐賀にも音楽や藝術をこころざす子どもたちや、そういう道に進ませたいと願う親御さんたちが沢山いると思いますが、東京や大阪のような都会に生まれなくても、宇都宮さんのように、大きな夢は実現できる。励まされる人は多いと思います。

 僕が通ってきた道はいまお話ししたとおり、幼少期から音楽家になるための専門的な教育や指導を受けたわけではないんです。小さい頃から兄妹で楽しく歌い、アメリカの小学校では歌が糸口になって、友達ができ、中学ではむりやり混声合唱部をつくり、そして高校でも……。
 その中で、またとない尊敬する師たちに出会い、お導きいただきました。音楽は頭から出てくるものではなく、自分の内側からあふれ出るもの。その意味では、音楽と生きていく僕の人生の根底にあるもの、表現するこの身体を作っているのは、ふるさとである佐賀の風土や気候や人々との出会いだと思います。


2017年3月、佐賀城本丸歴史館駐車場そばに建立された鍋島直正公像の前で。

はなわ

Hanawa

優木まおみ

Yuki Maomi

吉武大地

YOSHITAKE DAICHI

中越典子

Noriko Nakagoshi

宇都宮直高

Utsunomiya Naotaka

宇都宮直高

PROFILE

宇都宮直高 Utsunomiya Naotaka

テノール歌手・舞台俳優。佐賀市出身、父親の仕事の関係で小学校時代をアメリカのカリフォルニアで過ごす。佐賀市の鍋島中学校時代に合唱部で活躍し、全国優勝を経験。致遠館高校に進学後も音楽を続け、東京藝術大学声楽科に進学し、オペラの基礎・応用を学ぶ。在学中「メリーウィドウ」でカミーユ役に抜擢され、オペラデビューを果たす。2000年に劇団四季に入団。初舞台で『ライオンキング』シンバ役を好演。現在は、歌手・俳優としてのみならず、ボイストレーニングスクール『U musicroom』を主宰し、音楽講師として活動の幅を広げている。