佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です! PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。
佐賀は中国大陸との距離が近かったからか、大陸からの文化や技術が本州よりも早く入る傾向があった。「お茶」も例にもれず、神埼郡東脊振には、僧侶栄西が佐賀に上陸した際に持参した茶の樹を植えたと言われており、お茶栽培発祥の地として知られ、嬉野には、樹齢400年を超える大茶樹の樹が残っている。煎茶を広めた売茶翁もという人物も佐賀の出身だったということをご存知だろうか。ここでは、佐賀が生んだ文化人・売茶翁について紹介しよう。
売茶翁は佐賀市蓮池町出身
売茶翁は、1675年、佐賀市蓮池の地で藩医を務める家で誕生した。幼少の頃の名前は菊泉といった。1686年、11歳のときに出家し龍津寺に移り、僧名月海の名前を授かる。1696年、修行の旅に出て全国様々な地を回っている時期に煎茶と出会うことになる。
1707年、長崎にいる時のことだった。60歳を過ぎた頃、佐賀を出て京都へと向かう。そこで開いた「通仙亭」で、色々な話をしながら客人に煎茶を振る舞った。こうして煎茶を振る舞い、禅を解いたり文化・芸能のことを語り風流な時を共有した。人は身分のかけ隔てをせずに自由に接する彼のことを「売茶翁」と呼ぶようになり、彼に親しむ人々が集うようになった。
そもそも煎茶とは?
煎茶とは、緑茶の一種で、京都の永谷宗円が新芽の茶葉を蒸し、焙炉で揉みながら乾燥させる製法を編み出したことから始まった。
宗円と売茶翁は対面の機会を得た時に、宗円の煎茶をいたく気に入った売茶翁は、一晩を明かすほどに煎茶について語り合ったという。緑茶には抹茶や茎茶などがあるが、日本人の嗜好に非常に合った煎茶は、現在も日常的に幅広く飲用されている。
売茶翁の回りに集まった著名人
文化や芸能のみならず禅のこと世の中についても博識で話上手だった売茶翁の回りには、多くの人が集まった。池大雅、松平定信、田能村竹田、渡辺崋山などが彼の肖像画を残している。当時、これほどまでに描かれた対象は売茶翁くらいだといわれている。売茶翁は、その生き方や考え方などで、芸術家たちにも多大な影響を与えたのだろう。
売茶翁の功績を広める活動が実を結ぶ
佐賀に売茶翁という人がいたということを広めるきっかけをつくったのは、高遊外売茶翁佐賀地域協議会の活動だった。あるレセプションで佐賀ならではのおもてなしができないかというテーマが持ち上がった時に「売茶翁」の存在が浮上したのだという。「身分の高い人が親しんでいた喫茶文化を庶民にまで広めて、煎茶を浸透させていったのは、なんと佐賀の出身だったということは大きな財産です。
最初はあまり知られていなかった売茶翁のことを広めていくために、歴史情報だけではなく、実際に茶器、お茶、茶菓子との組み合わせで提供していったことで理解度を深めていけたのだと思います」と会長の川本喜美子さん。当時京都にあった通仙亭のように煎茶の文化に触れることで、売茶翁と対面した気分になれるかもしれない。
実際に煎茶を体験するのが一番!
佐賀市松原にある肥前通仙亭では、売茶翁に関する貴重な史料の展示や煎茶体験ができる。売茶翁を知るには、実際に煎茶を体験するのが一番である。煎茶体験セット500円をオーダーすると、お茶と和菓子がセットされたお盆が運ばれてくる。一煎目。急須に茶葉入れお湯を注ぎ、約3分待つ。一煎目のお茶は、まろやかで爽やかな風味を感じる。二煎目。急須にお湯を注いで約1分待って、一煎目より苦みの増した濃いめのお茶を味わう。
そして、茶葉を小皿にとり、昆布だしをかけて茶葉そのものをいただく。佐賀の茶どころ嬉野のお茶を余すところなく堪能できる煎茶の体験を通して、売茶翁が生きた時代へ時空の旅をして、余韻にひたれる贅沢な場所があることに、感謝こそ覚える。佐賀を旅する人には、ぜひ立ち寄ってほしい場所である。
2018
vol.12
美味しい海苔のみわけ方