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vol.14

今号の研究テーマ

干潟のなかの牡蠣礁~有明海は元祖”牡蠣の産地”

有明海の冬の食材と言えば、やはり「海苔」。いやいや、それにも負けないのが「牡蠣」だ!と思うのは私が広島出身だからだろうか。直販所だけでなく、一部のスーパーでは、有明海産の牡蠣が並んでいることからも、あながち間違ってはないだろう。また、鹿島市から太良町にかけての国道207号沿いは、牡蠣焼きの店が並び「たらカキ海道」と称している。ということで今回は「牡蠣」の話題を取り上げてみる。


 スーパーに並ぶ牡蠣のうち、チューブに入っているものは、やはりマガキの産地である広島や宮城のものが多いように見受けられる。ただし、殻付きのものは別で、有明海産と書かれたものが圧倒的に多い。干潟の有明海で牡蠣・・・? では、牡蠣は有明海のどこにいるのだろうか? それはGoogleマップで確認することができる。



 Googleマップで衛星写真表示にしてみてほしい。そして、嘉瀬川、本庄江の河口、あるいは六角川の河口を観てほしい(2017年12月現在の写真では六角川の河口が比較的わかりやすいかもしれない)。河川と干潟との境のところに干潟とは違った部分があるのがわかるだろうか? 特に六角川の河口では白っぽくなっている部分があるのがわかるだろうか? これが「牡蠣礁」と呼ばれるものだ。牡蠣の集合体と考えてもらってもいい。これが、有明海での「牡蠣の産地」である。現在のところ、佐賀市沖合よりも、鹿島市や太良町沖のほうが大規模だ。


写真の帯状になっているところがすべて牡蠣礁だ。
ちなみに本庄江、嘉瀬川河口にある牡蠣礁を船から観るとこんな感じに見える。


嘉瀬川河口の牡蠣礁


 では、この牡蠣礁はどのように形成されたのだろうか?
牡蠣は子孫を残すために、生殖活動をした後「幼生」が作られる。幼生は非常に小さなもので、1ミリメートルよりももっと小さい。この幼生はしばらく浮遊したのち、岩などにくっつく。このくっつくということが重要で、もし、くっつくことができなければ、成長できない。干潟のような泥場ではくっつくことが困難で、干潟の中に石や貝殻のようなものがあるなら、そこにくっつくことができる。くっついた幼生は成長して、みなさんの食べるサイズになる。そしてまた、生殖活動をして、幼生がつくられる。この幼生は、石や貝殻にくっつくことができるのだから、当然、牡蠣殻にもくっつくことができる。牡蠣殻に幼生がくっつきそれが成長する、成長した牡蠣の殻にまた幼生がくっつく、このようなことが繰り返されて「牡蠣礁」はつくられていく。



 このようにしてつくられた「牡蠣礁」の牡蠣を有明海に住む人々は昔から食していたようである。さらには長崎の方に出荷していたという記録もある。「佐賀県案内・明治冊九年」という資料にはその様子が書かれている。引用してみると・・・
 「従前は自然に発育せるものを採捕し、小なるものを地方に販売し、大なるものを一時泥中に貯蔵し置き、漸次長崎其他に輸送し来りしに、明治十七年の秋季販売の都合に依り泥中に貯蔵のまま、超えて翌春に至りしに、泥中のカキ生存の良好なるのみならず、大いに発育したるを認めたるにより、始めて養殖の利なるを覚知し、小城郡芦刈村住ノ江の河畔に延長一理余の養殖場を設け、近年益々盛なるに至れり」
とあるのである。つまり、自然のものを獲ってきて食べたり売ったりするだけでなく、明治にはもう「養殖」をはじめたことになる。これらの養殖方法は「地蒔」、「ひび建養殖法」、「石蒔式」などと呼ばれるもので、干潟での特有の方法だ。現在の広島湾で行われているものとはちょっと違う(昔は広島湾でもこの方法が行われていた)。以上のことから、もう100年ぐらい牡蠣養殖が有明海水産業の重要な産物になっているといえる。ちなみに、明治時代の牡蠣生産量は480万貫とも言われる。当時の広島は160万貫であったので、佐賀は元祖「牡蠣生産地」といってもいいかもしれない。


 このようにして利用されていた有明海の牡蠣であるが、昭和40年代初めから盛んになってくる海苔養殖によって状況は大きく変わる。牡蠣をとっていた人も海苔を中心にやるようになっただけじゃなく、牡蠣礁を取り除くというようなことも行われたのである。というのも、海苔養殖を行うには篊(コンポーズ)を建てねばならないが、牡蠣礁があると支柱が建てにくい・・・ということで取り除かれたのである。しかし、最近は牡蠣礁を増やそう・・・との活動もある。というのも、牡蠣は海苔の敵である「植物プランクトン」を餌にする。すなわち、牡蠣礁があることが海苔養殖にとっても利点になるのである。果たしてこの取り組みは今後どうなるだろうか?



 さて、話はガラッと変わるが、牡蠣礁のカキ、これには3種類が混ざっているのをご存じだろうか?その3種類とは・・・
マガキ Crassostrea gigas
スミノエガキ Crassostrea ariakesis (Fujita,1913) 
シカメガキ Crassostrea sikamea
 マガキは、全国に居るカキで、広島や宮崎で養殖されているのもこれである。一方、スミノエガキは、有明海(住ノ江)で発見されたカキであり有明海特産種と言ってもよい。地域では「ヒラガキ」と呼ばれることもある(ただし、標準和名では別のヒラガキが存在するので、地域外の人に「ヒラガキ」とは言わない方が良いかもしれない)。シカメガキは、有明海、八代海のみ産するカキだとされてきたが、最近では伊万里湾、中海で見つかったという報告もあり、もしかしたら本邦沿岸でもかなり広いところに生息しているかもしれない。しかし、実は、カキ類を見分けるのはかなり難しい。飼育環境下では専門家ではない私でも見分けることができるが、牡蠣礁の現場で見分けようとすると、かなり難しい。マガキとシカメガキは、ほんと形態学的な分類法ではかなり酷似している。それで結局、DNA判定じゃないとわからない・・・という結論になるわけだが、でも、専門家は形態学的な分類で分けていらっしゃるので、みなさんも是非見分けられるようになってはどうだろうか?



【牡蠣から生まれたグリコ~発祥の地は、佐賀市】
佐賀市蓮池町出身の江崎利一氏は、大正3年(1914)行商の途中、早津江川の岸で有明海特産のカキの煮汁が川口に放出されているのを見つけて、その有効利用を思いつき、その汁の中から栄養素「グリコーゲン」を抽出、種々の工夫の後、それを栄養菓子「グリコ」として完成させた。大正10年(1921)、その販売のため大阪に出て「江崎グリコ」を創業した。(引用:佐賀市地域文化財データサイト)

ラボ主任研究員

有明海研究者

藤井直紀

NAOKI FUJII

PROFILE

1977年(昭和52年)生まれ。広島県広島市出身。広島東洋カープファン。生物海洋学研究者。国立水産大学校にて水産学を学ぶ。広島大学大学院生物圏科学研究科にて学位を取得。愛媛大学沿岸環境科学研究センター(通称:CMES)にて瀬戸内海の環境変化やクラゲに関する研究をしたのち、2011年2月から佐賀大学低平地沿岸海域研究センターに赴任。有明海の環境変化に関する研究に携わるとともに、研究者と一般市民をつなげる「サイエンスコミュニケーション」活動を行っている。研究に熱中するあまり未だ独身(?)。鹿島市を拠点とする任意団体「まえうみ市民の会」副会長。中国地方を拠点に活動するNPO法人ちゅうごく環境ネット副理事長。