佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

SAGA MAGA

メニュー

vol.3

今号の研究テーマ

「まるぼうろ好きな愛されキャラ」大隈重信

前号に続き、大隈重信が意を決して脱藩してから晩年までの話を追ってみようかの~。大隈がいかに熱い人物で人々に愛されていたかが分かるはずじゃよ。

 そもそもじゃ、外交というのは、国と国が互いにすり合わせをしながら、双方の利益になるように話し合いをするんじゃが、当時の日本は、国際社会の中では後れをとり何かと西洋より近代化が遅れていたのじゃ。そんな中、イギリスとの外交窓口となった人物で、パークスという人がおったのじゃ。このパークスというお人は、英語でワ―ッとまくしたてて、言い返せないような迫力と論理的な話術で、次々と日本に対してイギリスの都合のいいように外交を進めていこうとしていたのじゃ。このままでは日本が勢い負けしてしまう、このままではいかん!と大隈に白羽の矢が立った。大隈は、ワーッとまくしたてるパークス相手に一歩も引くことなく彼らは何時間会談をしたと思う? 
 なんと6時間じゃよ!! 6時間!わしが担当している「えびす街角ラジオ」2回放送分もの時間を、英語でワーッと喋り倒すのじゃ。この会談で日本の主張が通り、大隈という人物が認められるようになるのじゃよ。

 結果、大隈は、大蔵卿(今の財務大臣)、外務大臣などを歴任するのじゃ。しかし、1889年、外務大臣の時、今でいう爆弾テロで右足を失ってしまう。それに屈することなく義足で過ごす生命力と未来の日本をつくる情熱には頭が下がるのう。

 61歳のとき、内閣総理大臣に着任し、77歳から79歳は、二度目の着任を果たす。国の政治を一手に取り仕切る総理大臣という業務は、ハード極まりないと思うんじゃよ。なったことないからわからんけど(笑) そんな重責を当時では超高齢の79歳までやったというのは、今日にいたるまで例がない。大隈のエネルギーがいかにすごかったかが分かる。

 人のため、国のために働き続けた大隈は、当然人々から慕われた。そんな愛されキャラが垣間見えるエピソードがある。大隈の大好物は、丸ぼうろ、知っとったか? 東京で執務をこなす大隈が故郷の味を懐かしんでいるという話をきいた丸ぼうろ屋の主人が、職人を連れて東京まで出向き、丸ぼうろを焼く窯をつくって振る舞ったという話。宅配便も引っ越しサービスもない時代に、直接職人が赴き、目の前で焼きたての丸ぼうろを振る舞うたあ、愛に溢れていますよね。

 情熱の人 大隈は「125歳まで生きる」と豪語しておったが、残念なことに85歳で亡くなってしまう。その葬式は国民葬としてなんと30万人もの人々が弔問したという。
 大隈が実際に使っていた右足の義足は、佐賀市の大隈記念館に現在も展示されている。大隈の偉業を知るにはおすすめの場所じゃよ。佐賀に旅行に来た時には、ぜひ足を運んでみてはいかがかのう。(大隈重信 完)

ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!