佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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vol.15

今号の研究テーマ

義祭同盟の創始者であり、日本の未来を説いた枝吉神陽

これまでの賢人ラボに登場した賢人に大きな影響を与えた人物といってもおかしくない偉大なる賢人、枝吉神陽。その牽引力は現在の理想のリーダー像にも重なるかもしれない。今回は、枝吉神陽について熱く語ってみようかのう。

カリスマ性を持ち、師と仰がれた枝吉の志

 枝吉神陽は、佐賀の賢人の一人である副島種臣の実兄であり、彼にとっては、人生の師、正真正銘の先生ともいえる。加えて、日本赤十字社を設立した佐野常民、島義勇と同年の生まれであるが、頭脳明晰で、カリスマ性を備えていた枝吉は、同年の者からも“先生”と尊敬されていたという。そこまでの逸材、佐賀生まれで佐賀育ちの枝吉が先進的でワールドワイドな考えを持つようになったのは、なぜじゃろう??

佐賀の地で広い広い世界を思う先見性

 当時、佐賀の武士の心構えを表した書物「葉隠」の基本的思想は、とにかく鍋島藩のお殿様第一主義を説き、恋をするように尽くし、佐賀藩、鍋島藩に奉公せよという考え方だったのじゃ。そんな中、枝吉は、義祭同盟という秘密組織をつくり、年に一度、旧暦の5月25日に、今の龍造寺八幡神社に集まり、一晩中酒を酌み交わしながら日本の未来について議論したという。つまり、佐賀や鍋島家という枠にとらわれることなく、日本全体や諸外国との関係性や国益を守ることを、枝吉は佐賀の場所で考えていたのじゃ。

佐賀の「吉田松陰」とも言わしめる影響力

 枝吉の考えに共鳴した実の弟・副島種臣や江藤新平、島義勇、大隈重信、大木喬任など、幕末から明治新政府になる激動の時代に志を持って行動し、後に政府で重要なポストに就いていく逸材ばかりだった。彼らは枝吉を師と仰ぎ活躍した。それだけの影響力を持つ枝吉は「佐賀の吉田松陰」とも呼ばれるほど、切れ者で、対面したことのある吉田松陰も一目置いていたという。

体力も十分! そして愛妻家の一面も。残念なのは、短命だったこと

 枝吉は、とても足腰が強く、1日に80㎞も歩いていたと実弟の副島が回顧するほどだったという。なんと、富士山に下駄で登ったというから、その強靭さはいかばかりか! 強さの一方で、愛妻家でもあった枝吉は、コレラにかかってしまった奥方を看病しているうちに自身も感染してしまい、40歳で奥方の後を追うようにこの世を去ってしまう。 


高傳寺枝吉神陽の墓(佐賀市本庄町大字本庄1112-1 )

 なんと残念なことだろう! 愛妻家であるが故の悲劇じゃなー。愛情深く、カリスマ性もあり、先進的な視点で世界全体を見渡すことのできた枝吉神陽さん。もし彼が長生きしていたら、吉田松陰のほうが「本州の枝吉神陽」と呼ばれていたかもしれん、とワシは思うのじゃよ。皆さんは、どうかのう?



楠神社御遷座百五十年祭記念出版
枝吉神陽先生遺稿

著者:龍造寺八幡宮 楠神社編
仕様:A5判・416ページ・上製本貼函入


佐賀偉人伝14『枝吉神陽』
大園隆二郎著(元佐賀県近世資料編纂室長)
判型:A5判
ページ数:112ページ

ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!