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vol.7

今号の研究テーマ

”マルチな才能と博愛精神” 日本赤十字の創始者・佐野常民

監督、博愛精神、名スカウトマン、博覧会男… 日本の産業拡大に大きく貢献した佐野常民の別の顔、日本赤十字社の創設者としての一面も話していこう。

佐野に影響を与えたヨーロッパ訪問

 蒸気船や蒸気機関車の開発など産業発展に大きく貢献した佐野のイメージは、戦いを好む刺激的でワイルドな男といったところだろうか。しかし、本当の佐野はこのイメージとは正反対ともいえるのじゃ。ワイルドではない面を見せた場面は、パリだった。日本初の国産蒸気船 凌風丸を完成させた佐野は、その2年後、パリ万博に参加するため、日本代表としてヨーロッパに渡った。そこで敵味方関係なく負傷者の救護活動を行う赤十字社があることに衝撃を受けたのじゃ。

日本初にも救護活動を行う団体を創設

 敵味方なく負傷した人を助ける精神にいたく共鳴した佐野は、明治10年、国内で西南の役が起こった時に、日本赤十字社の前身になる博愛社を創設し、負傷者の救護活動を行った。当初は「なんで敵ば救わんばいかんとか!!相手もこっちも命がけで戦いよっとぞ!」といった反対もあったが、佐野は自身の信念を貫き、有栖川宮親王に博愛社設立を直訴し、実現の運びとなったのじゃ。佐野は設立が認められた時、人目もはばからず男泣きに泣いたという。他に彼が男泣きを見せたのは、鍋島直正公が他界した時だという。これで、ワイルドなイメージとは違った「泣き虫」の面も覗くことができる。非常に情に厚い人物だったのじゃよ。

佐野の人生で解明できない一つの謎

 佐野が江戸にある伊東玄朴の塾で学んでいた時のこと。塾にはヅーフ・ハルマというオランダ語の辞書があり、門下生はその辞書を奪い合うようにして勉学に励んでいたという。それだけ貴重な辞書を、ある日佐野は塾から持ち出して、何と質入れしてしまう。その時の金額は30両(360万円~390万円)というから、相当な金額で取引されたのじゃよ。
 当然、熟は破門されて佐賀に戻ることになったのじゃが、成績、人格ともに優秀でその後の人生の経歴を見てもいくら魔がさしたといっても佐野が自分の懐に入れるためにこのようなことをするとは考えられない。なぜこのようなことをしたのか、その真相についてはとうとう生涯誰にも語らないまま81年の生涯を閉じた。たぶん、私は佐野さんに何か考えがあってのことだったと思っているし、そう信じたい。魅力と謎を残した賢人、佐野常民の話はこれでおしまい。


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ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!