佐賀ならではの時間や空間の楽しみ方など、通りいっぺんの観光では味わえない濃い深い情報満載です!  PR隊長のはなわさんや優木まおみさんがディープな佐賀へと誘います。

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vol.8

今号の研究テーマ

新政府の方向性を形づくった男・副島種臣

江戸から明治へと時代が移る時、幕府政治から明治の新政府がはじまり、世の中が大きく動いていった。まさにその激動の時代、明治政府の基盤となる方向性や体制を築いた人物が副島種臣なのである。やはり、幕末明治の世の中は、佐賀人が大きく関わっているのじゃな。今回は、2回に渡り、副島種臣のエピソードを紹介していこう。

種臣はお利口さん、がばい優等生やった!

 佐賀市観光協会発行の「佐賀の⒓賢人歴史散策お楽しみ帳」によると、副島種臣はお利口キャラと記されている。そう、めちゃくちゃ勉強したお利口さんだったのじゃ。


佐賀の12賢人お楽しみ帳

7歳で藩校「弘道館」に入学し、21歳の時、首席となる。38歳の時には、長崎の致遠館でフルベッキから英学を学ぶほどの勉強家だったのじゃよ。その勤勉さ、博学が高く評価され、明治政府の世になってから、参与、参議、外務卿、明治天皇の家庭教師ともいえる待講、内務大臣などを歴任した。


お利口さんエピソード、そのお利口ぶりは?


 種臣のお利口ぶりを表す一つのエピソードを紹介しよう。お利口な種臣は、政府の高官になっても、私欲のために金をため込んだりせず、慎ましやかな生活を送っておった。種臣のその態度を見かねた明治天皇が、種臣にお金を送ったら、「名君は万人に平等にあらねば」と言って固辞したそうな。お利口過ぎじゃろ? お利口ということは、間違ったことは一切見逃さない、ということにもなるんじゃな。そのエピソードはというと…。

種臣の名が世界に…マリアルス号事件

 明治5年、横浜港に停泊中のペルー船、マリア・ルス号内で奴隷のような扱いを受けていた中国人231人を解放したという事件を知っておるかな。当時の船内は治外法権であり、船でのいざこざには干渉しないと決め込む人が多い中、種臣だけは違った。外務卿だった種臣は断固として解放の訴えを変えず、日本初の国際裁判において勝利を勝ち取ったのじゃ。これにより、日本の人道主義が世界に広く知られることとなり、種臣自身もこの一件で世界に名を知られるようになった。
次は、種臣のちょっとかわいらしい部分について話してみようかのう。


●「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の歴史寸劇
 毎週日曜正午~佐賀城本丸歴史館で好評上演中!
●「佐賀の八賢人おもてなし隊」

ラボ主任研究員

谷口文章

BUNSYO TANIGUCHI

PROFILE

えびすFMの市民パーソナリティとして「えびす街角ラジオ」(毎週土曜午前9時から生放送中)をピンキースカイと一緒に担当。番組のコーナー「佐賀の賢人さん」では、佐賀出身の賢人たちをわかりやすく紹介し人気上昇中!また、佐賀市のまちおこしとして佐賀の八賢人を演劇で紹介する「八賢人おもてなし隊」の島義勇役として活躍。毎週日曜、佐賀城本丸歴史館にて好評上演中!